所長コラム

所長コラム

話題の祝辞に思う

新年度が始まりました。

コラムには、新元号にちなんだことを書こうと思いつつも、あまりにも畏れ多く躊躇している間に、4月も第3週目になってしまいました。ということで新元号「令和」の話題も、世の中は一段落していると勝手に解釈しまして、話題の祝辞について思うところを少しだけ。

 

さてさて、ここでいう祝辞とは、先般、4月12日に行われた東京大学学部入学式での上野千鶴子さんの祝辞のことです(東大のオフィシャルページに全文が掲載されています)。

私がこの祝辞を知ったのは、当日の夜中のことでした。ネットに取り上げられていたので、深く考えずに全文を拝見しましたが、何度か読み返すうちに後半部分の学生への問いかけがスーッと入ってきたのでした。翌日には様々な意見(賛否両論)があることを知りましたが、個人的には社会生活を送るうえで頷けるところがあり、共感したのでしょう。後半の2箇所が、週末ずっと頭から離れませんでした。

 

1つ目は、頑張ったら報われると思えるのは、自身の努力の成果ではなく、環境のおかげだったことの件(くだり)。原文では、丁寧にわかりやすく書かれていますので、ぜひご一読を。

私自身、立場上、職場を代表して表に出ますが、それは職員各人が質の高い支援を行って、社会から認知されていることの裏付けがあること。つまり職員という資源を持つことができていることなのです。

 

もう一つは、社会が正解のない問いに満ちた世界だという件です。対人支援の難しさは、ここにあると思います。正解のないというと少し語弊があるので言い換えると、対人支援の正解は一つではない。つまり様々な可能性をいかにアセスメントできるか否かだと常に感じます。そんな日常に思うところを簡潔に言い表しているこの祝辞に魅かれたのでした。

 

これらを考え合わせると、自分が勝ち抜くためだけに頑張ることが、ただの独りよがりであることを常に意識していなければならないと強く感じるのです。そんなことを考えながら、宮崎シーガイアユニファイドジョギング大会を走り、年代別第2位入賞し頑張りが報われた新緑の週末でした。

防災

前回のコラムでは、“震災”について触れましたので、今回はセンターでの防災の取組みを紹介します。

 

先般、3月14日、津波を想定した避難訓練を行いました。センターでは、年3回、火災、地震による火災、台風や大雨等非常災害、津波等、様々なケースを想定した防災訓練や学習を行っています。今回は動画を活用して地震、並びに津波について事前学習し、皆さんが理解したうえで実施しました。

県の想定によると、南海トラフの巨大地震が発生すれば、宮崎市には最大16メートルの津波が、最短18分で到達します。正確な情報を収集し、遠くよりも高くに避難することがポイントのようです。

 

今回は、職員に休暇や外出の者がいて、施設外支援の利用者の方もいらっしゃったので、ほぼ日常に近いかたちで実施できました。幸いセンターは津波浸水想定地域外ですので、落ち着いて行動できそうですが、油断は禁物です。災害はいつ起こるかわかりません。

 

と言いつつ、コラムのアップが延び延びになっている間に…

3月27日、日向灘を震源とする地震が3回起きて、日中に2回もありました。ビックリしましたが、職員、利用者の方とも初期対応ができ、何事もなくて一安心でした。(汗)

震災

今回のコラムを書くにあたり、これまでの災害で被災された方々に心よりお見舞い申し上げます。

今日、3月11日で東日本大震災の発生から8年を迎えました。テレビ等では、震災後の復興に関する特集が組まれ、復興する被災地の現状と課題を知り、改めて様々な課題を知ることの大切さを感じました。

 

この震災より遡ること約6年半あまり、新潟県で大きな地震がありました。平成16年10月23日に発生した新潟県中越地震です。土曜日の夕方に起きたマグニチュード6.8、震度7の地震は、帰宅途中の車をがけ崩れに巻き込みました。数日後に幼い男の子のみが救出された衝撃的な映像が記憶に残っている人も多いと思います。

 

私は、発生から数日後、被災地へ支援物資を送る拠点確認等のメンバーの一員として現地に入りました。新潟市を基地にして、長岡市を経由して小千谷市に入り、現地自治体を訪れましたが、混乱ぶりは想像を超えていました。被害は甚大で、道路の至る所が崩れ、もしくは寸断されていて立ち尽くしたことを覚えています。その脇には、なぎ倒された電柱や液状化現象で腰の高さくらいまで突き出したマンホールが列を成しています。上越新幹線の脱線した車両などの光景は、今でも鮮明に記憶に残っています。市の体育館前では、自衛隊がお風呂を設営していて、上空にはたくさんのヘリコプターが飛び交っている物物しさから、お年寄りのなかには、戦時中を思い出すと言うほどでした。

 

当初の任務完了後、ニーズ調査に加わりましたが、住民の方と接していると、そのニーズが刻々と変わっていくことや、被災者の心の変調が直に伝わってくる一方、自身の無力さにも気づかされたのでした。震災支援という経験は、自身のその後の生き方に大きく影響してくることになりました。

現在、おぢやファンクラブの会員として、現地の情報を得たり、特産品を購入することでしか交流はできませんが、近い将来、再び当地を訪れてみたいと考えています。

“非日常に身を置くこと”は、人に様々な影響をもたらすものです。

鹿児島マラソン2019

3月3日、隣県で開催された鹿児島マラソン2019のフルマラソンに参加してきました。

この大会は、最近できた都市型マラソンです。今回が4th大会で、私は3年ぶり2回目のエントリーでした。コースは、市内中心部からスタートし、鴨池公園方面へ南下後、再び北上し天文館等繁華街を抜けます。その後、錦江湾越しに桜島を望む国道10号線を北上して、姶良市を折り返す風光明媚なコースです。

レース結果は、シーズンベストだったものの、前回記録に32秒及ばずの3時間41分。ふがいない結果に終わりましたが、地元の皆さんの応援に助けられ、苦しくとも楽しい大会となりました。

 

さてさて、フルマラソン。42.195㎞という、日常では考えられない距離をみんなで走っちゃいましょうという競技。ちなみにエリートと呼ばれるランナー達は、2時間そこそこでゴールしますが、ビギナーや練習不足のランナー、当日のレースプランの如何によっては、過酷なレースとなります。しかしながら、なぜかはまってしまうのには、いろいろな気づきがあるためだと思っています。(素人なので技術的な気づきは皆無です。)

 

レース中、とてもしんどくなることがあります。それは、体調にもよりますが、走り始めてすぐだったり、後半だったり、しかも何度もだったりと様々です。私は、そんな時は沿道の応援に苦しい顔は見せません。代わりに口角を上げたり薄目にしたりして、あたかも笑っているような表情を作ります。というのも、しんどい顔をして走るのは、頑張っている自分を認めて欲しいということに外なりません。ある意味“うぬぼれ”のようなもので、認められたと思った途端、一気に気持ちが萎えてくるのです。

 

今回の大会も1万人がフルマラソンを走りました。程度の差はあれ、どのランナーもしんどいのでしょうが、同じ方向に走っているので、表情をうかがい知ることはできません。自分だけがしんどいと勘違いしてしまっては、レースは終わりなのです。「走るも、歩くも、止まるも自己責任。」

かく言う私も今回ばかりは、しんどくて仙厳園前の給水所で止まって蕎麦を食べましたが、そこから気持ちを切り替えることができたのが今回の気づきでした。

 

今回は、数日前からの雨予報や前日の大雨にヤキモキしました。しかしながら、当日は直前に曇りの良いコンディションになりました。気まぐれな天気に一喜一憂するより、場面想定して徹底した準備をすることも大切なことですね。

カーテンコール

先日、FM放送から流れるシンプルな歌詞と旋律、浜端ヨウヘイさんの“カーテンコール”という曲が耳に留まりました。

終演後、幕が降りた後に観客が拍手喝采で出演者を呼び出し、幕前でそれに応えるカーテンコール。この曲はその様子を人生の節目になぞらえているのかなぁと感じたのでした。

 

今、幕が降りる

笑顔と涙に包まれて

今、幕が降りる

そして次の時代が始まる

 

今月は、就労移行支援事業利用の方、2名が就職されました。明日の修了式では、この言葉をはなむけとして送ろうと思います。

 

自身の障がいや困難さに向き合いながら、一般就労を成就できたことに喝采を送り、次のステップの始まりにエールを送ります。そして雇用支援センターは、これからもあなた方を応援します。