所長コラム

所長コラム

初鰹

春が近づきつつあるなぁ~と感じながらつらつらと…

 

今日は、健脚訓練の日。

昨日までの寒さとは打って変わり、風もなく、良く晴れて小春日和の予感。

出発前に所長から一言ということで、「目に青葉 山ほととぎす 初鰹」の一句を紹介。

とても良い季節なので、リフレッシュしておいでと送り出しました。

 

そう鰹の旬も近いなぁ~。

 

魚好きで、おおかたの魚は捌けます。きびなごの手開きから鮪の刺身まで。

もちろん食べるのも好きで、鰹が好物。

その中でも、過去に数えるほどしか味わっていない島付きの鰹が美味い!

黒潮に乗って三陸沖を目指さす昇り鰹とは異り、海流の良い島周辺にいる群れらしい。

私が食べたのは、この時期に屋久島あたりで獲れた大型のもの。

刺身を引く柳刃包丁から伝わる肉質の良さ、包丁に張り付く感じからたまらない。

 

コンビニやスーパーで何でも手に入る飽食の時代。

旬の食べ物をありがたくいただく。

これが私の一番のリフレッシュなのかもしれません。

 

この原稿を書き終えたお昼前、健脚訓練から無事戻ってこられました。

皆さん笑顔。リフレッシュできたようです。

山は登ってみなけりゃわからない

新年、あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。

 

静かに過ごす年末年始が明け、当センターも本日から業務を開始しました。もちろん、これまでの感染対策に加え、在宅支援、個室対応等を行って、「うつらない、うつさない」を徹底しての業務になりました。第三波、変異ウイルス、家族間感染等々、急速な感染拡大への対策を徹底してまいります。関係する皆様には、危機感を共有して頂き、感染対策へのご理解、ご協力をよろしくお願いいたします。

 

さてさて、このつぶやきも丸2年が経過しました。初回投稿が2019年1月4日の“はじめまして”。昨年1月7日には“新しい時代への節目”と題し、東京オリンピック後の社会に期待をしてのつぶやきでした。まさか、その1年後がこんなことになっているとは、本当に驚きです。

 

そんな中、プライベートでは、恒例の年末年始の行事を極力カットせざるを得ませんでしたが、1月2日に尾鈴山(標高1405.2m)に初登りし、山頂の神社にお参りしてきました。もちろん一人で、どこにも寄り道せずに。滝2

尾鈴山山系は、滝が魅力で尾鈴山瀑布群と呼ばれます。最も手軽なのが矢研の滝へのコース。片道30分程度で素晴らしい滝が臨めます。人気は白滝までの滝めぐりコース。白滝までにいくつかの滝を見つつトロッコ道跡の手掘りのトンネルなどが楽しめます。次が尾鈴山山頂コース。登山口までの作業道を4キロ強、1時間程度歩き、登山口から一気に650m昇るためか、ピストンには不人気?(個人的感想です)。

ということで、尾鈴山山頂コースは人も少ないだろうと勝手に決め込んで、10時前にスタート。気温もまずまずで歩いていると気持ち良いくらい。登山口からは汗ばむくらいだったのですが、5合目くらいから急に曇り空に変わり、気温も急降下し始め山頂の温度計は、な、なんとマイナス1℃。最初はそう寒くは感じなかったものの、初詣後にカップ麺をすすろうとするも手がかじかんでうまく食べれない。汗冷えで震えが止まらない。早々に退散(下山)しました。12.2㎞、5時間の山行終了。滝1

ほんと、山は登ってみなけりゃわからない。次回もよろしく尾鈴山。
そんなこんなで始まりました今年も、当センターは、障がい者の社会的自立を多方面からアシストしていきます。どうぞよろしくお願いいたします。

 

「密は、心のつながりも表す。新型コロナウイルスの感染拡大で国民や医療従事者が苦労している中、日本中が努力してこの状況に向かっているのを、ありがたいと思いながら書きました。」

“今年の漢字”を揮毫された清水寺の森貫主のお言葉です。

 

恥ずかしながら、この年齢になるまで、世相を反映した“今年の漢字”というものは、清水寺が決めているのだろうと思い込んでいた(日本漢字能力検定協会が全国からの公募により決定する)ことは措くとして、冒頭の「密は、心のつながりも表す。」と「…ありがたいと思いながら書きました。」のくだりには、ハッとさせられました。

 

今年に入って、ソーシャルディスタンスという耳慣れないカタカナに従って、人との距離を取りながらの生活。式典、行事、イベント、会議等、ほとんどが中止。帰省もままならず、子育ても孤立等々…。次第に人と関わらないことに慣れっこに。そんな中、物理的な密を避けることと、心のつながりは別問題だということに今更ながら気づかされました。

 

今年1年を振り返ってみると、これまでの常識や慣例に判断を任せず、もう一度考え直してみることの繰り返しでした。一方で、関わる人との協力に助けられた1年だったとも感じます。

この年末は、もう一度、心のつながり(信頼関係)について考えてみようと思います。新しい時代を迎えるためにも。

習うより慣れよ

六観音池と韓国岳

さて、さて、例年だと、この時期はマラソンシーズンを控え、調整がどうのやら、体重が減らないやら、まるでオリンピアン並み(家族の弁)につぶやいているのですが…。カレンダーのレース予定は真っ白け。そこを埋めるがごとく(家族の弁)、今年は山行に勤しみつつ、思うところをつらつらと…。

 

11月3日は、文化の日。前日の雨模様から一転して秋晴れに。迷うことなく、早起きして一路えびの高原へGO!県道1号線を生駒高原方面から硫黄山手前の通行止め地点まで進めます。思惑通り!沿道の紅葉は、朝日を浴びてキラキラと絶妙なグラデーションを映し出しています。車道は昨日までの雨のおかげで、落ち葉の絨毯のよう。息をのむような美しさです。

紅葉の絨毯

今日の山行は、通称、えびの高原池巡りコースの往復。

まずは不動池から六観音池へ向かいます。分岐から白鳥山に登り、頂上から白紫池を望んだあと、エコミュージアムセンターまでの折り返しです。背景には韓国岳が鎮座するロケーション。絶好の紅葉狩りコースです。途中、常連の方から伺ったはなしでは、紅葉の見ごろというのは、日数的に限られていて、今日は良いタイミングだったようです。

 

そんなことを知ってか知らずか、ただの行楽シーズンなのか、次第にハイカーが増えてきます。たくさんの人とすれ違い、道の狭いところでは譲り合ったりします。何百人という人と出くわしますが、見ず知らずの方とすれ違いざまに「おはようございます。」、「こんにちは。」、「お疲れ様です。」と絶えません。道を譲られたら「すみません。」、「ありがとうございます。」などなど。お互いスーっと出てきて、清々しい気持ちになります。

 

登山やハイキングという環境がそうさせているのだとは思いますが、挨拶や会釈といったコミュニケーションは、“習うより慣れよ”なのでしょう。社会性を身に付けるためにも、幼少期から、こんな実体験を重ねることが必要なのかもしれません。

初秋に思う

徒歩で通勤していると、頬を伝う風や風景から季節の移り変わりを感じます。また、思いがけない出来事との出会いや気づきもあるものです。

秋の気配を感じながら、思うところをつらつらと…。

 

さて、先日の帰り道のこと、小学校高学年と思しき少年が駆け寄ってきて、「いま、時間とかって、分かりますか?」と尋ねてきました。「ん?」と思いつつも、時刻を教え、少年は何事もなく走り去っていったのでしたが…。

はて?

このやり取り、日本語に間違いではないのだけど、問い掛けに何か違和感を持つことしばし…。「いま何時ですか?」で良いのでは?と思いつつ歩きながらしばし…思料。

そうそう、彼の今どきの話し方は、時間を知りたい、もしくは教えてもらいたいという自分の意思を明らかしていないのです。それは、仮に断られても傷つかないような、もっというと、彼は無意識に相手からのノーを恐れているのかもしれません。

 

翌朝の出勤時、信号待ちをしていると、対面に親子連れが。お子さんは、保育園生くらい。お母さんに引かれる反対の手には、ぬいぐるみと容器のような物を大事そうに持っています。信号が変わり歩き出して間もなく、容器がするりと手から落ち、向かってくる私の足元の方へコロコロと転がってきました。何気に拾い上げると、お母さんが受け取って、しきりに「ごめんなさい」と詫びて、小走りに去ったのでした。ん?こちらの方が恐縮した次第。

 

いづれも、些細なことですが、拭えない違和感は少し寂しい気持ちに。そう、相手方への配慮も大切ですが、自分の意思をすんなりと伝えるのが先のような。そんなコミュニケーションが成立するといいのになあ。秋風を頭皮で感じるようになった私の人相が、件のコミュニケーションを阻害しているのではないか、という一抹の不安は措くとして。

 

写真は、秋晴れの高千穂の峰山頂(本文とは関係ありません)高千穂の鉾