所長コラム

所長コラム

震災

今回のコラムを書くにあたり、これまでの災害で被災された方々に心よりお見舞い申し上げます。

今日、3月11日で東日本大震災の発生から8年を迎えました。テレビ等では、震災後の復興に関する特集が組まれ、復興する被災地の現状と課題を知り、改めて様々な課題を知ることの大切さを感じました。

 

この震災より遡ること約6年半あまり、新潟県で大きな地震がありました。平成16年10月23日に発生した新潟県中越地震です。土曜日の夕方に起きたマグニチュード6.8、震度7の地震は、帰宅途中の車をがけ崩れに巻き込みました。数日後に幼い男の子のみが救出された衝撃的な映像が記憶に残っている人も多いと思います。

 

私は、発生から数日後、被災地へ支援物資を送る拠点確認等のメンバーの一員として現地に入りました。新潟市を基地にして、長岡市を経由して小千谷市に入り、現地自治体を訪れましたが、混乱ぶりは想像を超えていました。被害は甚大で、道路の至る所が崩れ、もしくは寸断されていて立ち尽くしたことを覚えています。その脇には、なぎ倒された電柱や液状化現象で腰の高さくらいまで突き出したマンホールが列を成しています。上越新幹線の脱線した車両などの光景は、今でも鮮明に記憶に残っています。市の体育館前では、自衛隊がお風呂を設営していて、上空にはたくさんのヘリコプターが飛び交っている物物しさから、お年寄りのなかには、戦時中を思い出すと言うほどでした。

 

当初の任務完了後、ニーズ調査に加わりましたが、住民の方と接していると、そのニーズが刻々と変わっていくことや、被災者の心の変調が直に伝わってくる一方、自身の無力さにも気づかされたのでした。震災支援という経験は、自身のその後の生き方に大きく影響してくることになりました。

現在、おぢやファンクラブの会員として、現地の情報を得たり、特産品を購入することでしか交流はできませんが、近い将来、再び当地を訪れてみたいと考えています。

“非日常に身を置くこと”は、人に様々な影響をもたらすものです。

鹿児島マラソン2019

3月3日、隣県で開催された鹿児島マラソン2019のフルマラソンに参加してきました。

この大会は、最近できた都市型マラソンです。今回が4th大会で、私は3年ぶり2回目のエントリーでした。コースは、市内中心部からスタートし、鴨池公園方面へ南下後、再び北上し天文館等繁華街を抜けます。その後、錦江湾越しに桜島を望む国道10号線を北上して、姶良市を折り返す風光明媚なコースです。

レース結果は、シーズンベストだったものの、前回記録に32秒及ばずの3時間41分。ふがいない結果に終わりましたが、地元の皆さんの応援に助けられ、苦しくとも楽しい大会となりました。

 

さてさて、フルマラソン。42.195㎞という、日常では考えられない距離をみんなで走っちゃいましょうという競技。ちなみにエリートと呼ばれるランナー達は、2時間そこそこでゴールしますが、ビギナーや練習不足のランナー、当日のレースプランの如何によっては、過酷なレースとなります。しかしながら、なぜかはまってしまうのには、いろいろな気づきがあるためだと思っています。(素人なので技術的な気づきは皆無です。)

 

レース中、とてもしんどくなることがあります。それは、体調にもよりますが、走り始めてすぐだったり、後半だったり、しかも何度もだったりと様々です。私は、そんな時は沿道の応援に苦しい顔は見せません。代わりに口角を上げたり薄目にしたりして、あたかも笑っているような表情を作ります。というのも、しんどい顔をして走るのは、頑張っている自分を認めて欲しいということに外なりません。ある意味“うぬぼれ”のようなもので、認められたと思った途端、一気に気持ちが萎えてくるのです。

 

今回の大会も1万人がフルマラソンを走りました。程度の差はあれ、どのランナーもしんどいのでしょうが、同じ方向に走っているので、表情をうかがい知ることはできません。自分だけがしんどいと勘違いしてしまっては、レースは終わりなのです。「走るも、歩くも、止まるも自己責任。」

かく言う私も今回ばかりは、しんどくて仙厳園前の給水所で止まって蕎麦を食べましたが、そこから気持ちを切り替えることができたのが今回の気づきでした。

 

今回は、数日前からの雨予報や前日の大雨にヤキモキしました。しかしながら、当日は直前に曇りの良いコンディションになりました。気まぐれな天気に一喜一憂するより、場面想定して徹底した準備をすることも大切なことですね。

カーテンコール

先日、FM放送から流れるシンプルな歌詞と旋律、浜端ヨウヘイさんの“カーテンコール”という曲が耳に留まりました。

終演後、幕が降りた後に観客が拍手喝采で出演者を呼び出し、幕前でそれに応えるカーテンコール。この曲はその様子を人生の節目になぞらえているのかなぁと感じたのでした。

 

今、幕が降りる

笑顔と涙に包まれて

今、幕が降りる

そして次の時代が始まる

 

今月は、就労移行支援事業利用の方、2名が就職されました。明日の修了式では、この言葉をはなむけとして送ろうと思います。

 

自身の障がいや困難さに向き合いながら、一般就労を成就できたことに喝采を送り、次のステップの始まりにエールを送ります。そして雇用支援センターは、これからもあなた方を応援します。

お金の価値と使い方

「また宮崎に呼んでいただき、ありがとうございま~す!」

2月2日、鹿野佐代子先生の張りのある第一声からスタートした金融セミナーは、盛況のうちにあっという間に終了しました。今回の金融セミナーは、お金の管理や使い方を分かりやすく学び、後半はミッションゲーム。様々なミッションにトライして実体験しながら、前半の学びを深めることができました。参加者の皆さんが「ウーン」と頷きながら納得の表情をされているのを拝見して、職員一同、開催して良かったなぁとホッとしました。

鹿野先生、参加者の皆様ありがとうございました。

 

鹿野先生とお会いするのは3回目。いつお話ししても、先生のエネルギーは半端なく、毎回新しい気付きがあります(個人的感想です)。今回は、 温泉ソムリエという肩書も増えていて、前入りしてえびの市の京町温泉や青島で楽活されたとのこと。その詳細は、鹿野先生のオフィシャルブログ“人生は一笑楽活”にアップされていますので、チェックしてみてはいかがでしょうか。

 

さてさて、私のお金の使い方のルーツを辿ってみると、中学生のころのこんなテレビコマーシャルを思い出します。女優 藤谷美和子さんの「百円でカ○ビーのポテトチップスは買えますが、カ○ビーのポテトチップスで百円は買えません。あしからず。」10秒程度の少々とぼけたコマーシャルですが、当時の小遣いが月500円に満たなかった私にとっては、なかなか買えないなぁーと感じる一方、100円の価値を強烈に実感したのを覚えています。それじゃ現在はどうかというと、100円では買えないポテトチップスもあれば、お釣りがくるものもあります。味や量のバリエーションが増え、金額だけでなくグラム数を確認したり、消費税は込みなのかまで考えています。お菓子ひとつ買うにも、確かな目が必要な時代なんですね。

おまけにカロリーまでも考えなきゃいけないおじさんにとっては、世知辛いなぁ~。

命を託されている

このコラムを開始して約ひとつきが経ちました。
そろそろ、「なぜ、コラムの写真が柴犬なのか?」とか、はたまた「なぜ、白や黒じゃなくて、赤なのか?」などマニアックな問い合わせもあるのではないかと期待、いや考えていましたが、幸いにもありませんでしたので、この件で思うところを書きます。

 

件の柴犬、昨年3月6日生まれの純血の雌犬で、来月1歳を迎えます。人間でいうと17・8歳くらい。生後3か月目に親せき宅から我が家にやってきたので、約9か月の付き合いになりました。
私は、齢40歳過ぎから、これまでしたくてもできなかったことに取り組もうと、いろんなことにチャレンジ゛していて、犬を飼うこともその一つでした。この親犬が最後のお産ということもあって、ぜひ、あなたに育ててもらいたいとの思いを聞き、一大決心したのでした。

 

さてさて、いざ迎え入れると、可愛いだけの期間はほんのわずかで、飼い主の責任の重大さを痛感する毎日となりました。まず、朝夕の散歩と餌やりは必須なのですが、出勤の都合上、朝の散歩は5時、夕方の散歩が遅くなれば趣味のランニング時間が取れないし、家族全員で夜間家を空けることも困難になりました。

しかし、これは人間の都合の話であって、彼女にとっては、ただ生きるための自然なことなのでしかありません。ということは、あらためて飼われている以上彼女の命は、私(家族)次第ということに気づかされました。

 

では、なぜ人は、大変な思いをしてペットを飼うのでしょう。自身を振り返ってみると、何かの役に立ちたいと思うからではないでしょうか。大変だけど、世話をすることにやりがいや意義を感じ、自分の役割を意識する。そして、期待してはいないけど、見返りのようなものがあれば嬉しく思う。至極単純です。

 

最近、彼女は、餌よりも私からのナデナデを欲しがります。すごくいとおしく思いますが、今朝も散歩で立派なウ○チを2回程、平気な顔で始末させられました。お互いの思いのすれ違いを感じます。