所長コラム
習うより慣れよ
さて、さて、例年だと、この時期はマラソンシーズンを控え、調整がどうのやら、体重が減らないやら、まるでオリンピアン並み(家族の弁)につぶやいているのですが…。カレンダーのレース予定は真っ白け。そこを埋めるがごとく(家族の弁)、今年は山行に勤しみつつ、思うところをつらつらと…。
11月3日は、文化の日。前日の雨模様から一転して秋晴れに。迷うことなく、早起きして一路えびの高原へGO!県道1号線を生駒高原方面から硫黄山手前の通行止め地点まで進めます。思惑通り!沿道の紅葉は、朝日を浴びてキラキラと絶妙なグラデーションを映し出しています。車道は昨日までの雨のおかげで、落ち葉の絨毯のよう。息をのむような美しさです。
今日の山行は、通称、えびの高原池巡りコースの往復。
まずは不動池から六観音池へ向かいます。分岐から白鳥山に登り、頂上から白紫池を望んだあと、エコミュージアムセンターまでの折り返しです。背景には韓国岳が鎮座するロケーション。絶好の紅葉狩りコースです。途中、常連の方から伺ったはなしでは、紅葉の見ごろというのは、日数的に限られていて、今日は良いタイミングだったようです。
そんなことを知ってか知らずか、ただの行楽シーズンなのか、次第にハイカーが増えてきます。たくさんの人とすれ違い、道の狭いところでは譲り合ったりします。何百人という人と出くわしますが、見ず知らずの方とすれ違いざまに「おはようございます。」、「こんにちは。」、「お疲れ様です。」と絶えません。道を譲られたら「すみません。」、「ありがとうございます。」などなど。お互いスーっと出てきて、清々しい気持ちになります。
登山やハイキングという環境がそうさせているのだとは思いますが、挨拶や会釈といったコミュニケーションは、“習うより慣れよ”なのでしょう。社会性を身に付けるためにも、幼少期から、こんな実体験を重ねることが必要なのかもしれません。
初秋に思う
徒歩で通勤していると、頬を伝う風や風景から季節の移り変わりを感じます。また、思いがけない出来事との出会いや気づきもあるものです。
秋の気配を感じながら、思うところをつらつらと…。
さて、先日の帰り道のこと、小学校高学年と思しき少年が駆け寄ってきて、「いま、時間とかって、分かりますか?」と尋ねてきました。「ん?」と思いつつも、時刻を教え、少年は何事もなく走り去っていったのでしたが…。
はて?
このやり取り、日本語に間違いではないのだけど、問い掛けに何か違和感を持つことしばし…。「いま何時ですか?」で良いのでは?と思いつつ歩きながらしばし…思料。
そうそう、彼の今どきの話し方は、時間を知りたい、もしくは教えてもらいたいという自分の意思を明らかしていないのです。それは、仮に断られても傷つかないような、もっというと、彼は無意識に相手からのノーを恐れているのかもしれません。
翌朝の出勤時、信号待ちをしていると、対面に親子連れが。お子さんは、保育園生くらい。お母さんに引かれる反対の手には、ぬいぐるみと容器のような物を大事そうに持っています。信号が変わり歩き出して間もなく、容器がするりと手から落ち、向かってくる私の足元の方へコロコロと転がってきました。何気に拾い上げると、お母さんが受け取って、しきりに「ごめんなさい」と詫びて、小走りに去ったのでした。ん?こちらの方が恐縮した次第。
いづれも、些細なことですが、拭えない違和感は少し寂しい気持ちに。そう、相手方への配慮も大切ですが、自分の意思をすんなりと伝えるのが先のような。そんなコミュニケーションが成立するといいのになあ。秋風を頭皮で感じるようになった私の人相が、件のコミュニケーションを阻害しているのではないか、という一抹の不安は措くとして。
写真は、秋晴れの高千穂の峰山頂(本文とは関係ありません)
そうだ!山に行こう!
残暑お見舞い申し上げます。
「暦の上では立秋を過ぎましたが…」で始まるテレビニュース。いずれも酷暑を伝える映像に加え、目を疑いたくなるような気温のテロップにはうんざり。
暑さもピークのようですので、マスク熱中症には、くれぐれも注意が必要ですね。
さてさて、きょうはお休みの過ごし方について、つらつらと…。
そうだ!山に行こう!
思いついたのが、お隣り国富町の“釈迦ケ岳”。
近郊で初心者でも登れるといわれ、登山道も整備されているとの情報を得て、早速行ってきました。標高約830メートル。GPSウォッチで登山口が標高300メートルくらいだったので、約530メートルの登山にいざ出発。
登山口では、地元の方(ボランティア)が、山ヒル除けの魔法のスプレーを無償で提供して下さり、ハチ、マムシなどの注意事項と見晴らしの良さを伺う。(一瞬、引き返そうかと思ったのは措く)
5合目くらいまでは整備された登山道。途中の杉林は、それはそれは幻想的。それより後は、ロープを使って登ったり、狭いところもあって、結構スリル満点。稜線のところでは、谷を渡る風がとても涼しく、平地とは別世界でした。登ること約1時間20分で頂上到着。頂上には法華薬師寺奥の院があり合掌。
あいにく霞んでいて登山口で伺っていた青島や霧島連山は見えませんでしたが、眼下に広がる街並みや田園風景は、とても素晴らしかったです。宮崎はいいところだなぁ~と、つくづく感じました。梅干しおにぎりも最高。
無事下山してGPSウオッチのデータを確認すると、往復距離7キロメートル、歩数が14,436歩、時間にして2時間28分の小旅行。
3密を避けて気分をリフレッシュする方法を、一つ身に付けたかも。
見通し
夏至も過ぎ、マスク生活も辛くなってきた…(;’∀’)、いや“新しい生活様式”の実践に取り組んでいる今日この頃。一向に見通しのつかない日々に感じたことをつらつらと。
前回のつぶやきの最後の方に、『厄介な感染症に翻弄されている現在、刻々と状況が変化しています。結果として、それとは全く関係ないこれまでの生活や将来の目標が、ぼやけてしまう様な気がしてなりません。』と記していました。文章から見通しがつかない焦燥感が見て取れます。
そんな少し前のことになりますが、まだ学校再開の目途が立たない頃。とある中学校の先生が登校日に配布したプリントにハッとさせられました。良い意味で…。
『提出物が守れなくて、何が受験だ!』の文字。それも手書きでデカデカと…。
学校のプリントといえば、生徒への連絡確認のみならず、家庭へのメッセージ性の強い代物。中三担任の募る焦燥感から出ただろう見通しを伝える一文。伝わる先が我が家だったか否かということは、とりあえず措いときますが…(;’∀’)。いろいろ考えさせられました。
さて、就労支援に目を移すと、利用者ご本人の特性との業務とのマッチング以前に、事業所、家庭、就業条件、通勤など諸事情により、雲行きが怪しくなってくることがあります。さらに今回の厄介な感染症の影響では、採用計画そのものが白紙になったケースがあるのも事実です。そんな時、解けない目先の問題を解くのは、困難です。もう一度、就労支援の入り口に立ち返って、本来の目的を達成するための課題は何なのかを分析し、やるべきことを再構築していきます。
見通しとは、自然についてくるものではなく、自ら立てていくもの。諦めたら最後。先を見て進もう。
記録
私の拙い“つぶやき”も前回が22稿。新年度を迎え、ふりかえりつつ、つらつらと。
一昨年1月から始まったこのブログ。年度で仕切ると各11稿ずつ。一方、趣味のマラソンは11年目で111レースに出場。年平均11回といったところ。上位入賞は22回、うち1位は2回で、いずれも1月の大会。手帳に記録しておくことで、いろんなことが見えてきます。おっ、ここまで、1と2が多いなぁ~。
さてさて、記録することの大切さ。どこが最初だったかを思い起こすと、中学生の頃の生活ノート。日課を付けておいて、1週間ごとに担任の先生からチェックをもらう代物。そのころの先生方は厳しかった(忘れると叩かれる)ので、それが嫌でとにかく毎日書く、記録する習慣が身についたような気がします。高校時代になると、これに学習時間記録が加わって、寝ている時間も算入したのは措きますが…。
あれから数十年経って、記録する媒体はスマホ、タブレット、GPSウォッチなど便利になりましたが、昭和世代にとって、手帳は欠かせません。これに到達目標を加えておくと、日々の記録が座標軸のようになって、自身がいまどこにいるのか、どっちに進もうとしているのかが認識できます。目標達成のためには、日々の努力が大切ですが、振り返りながら修正することも有効なのでしょう。
ちなみに当センターでは、作業種目での記録は、すべてデーター化したうえで、必要に応じ客観的指標のひとつとして活用されます。
厄介な感染症に翻弄されている現在、刻々と状況が変化しています。結果として、それとは全く関係ないこれまでの生活や将来の目標が、ぼやけてしまう様な気がしてなりません。こんな時こそ、日々の活動を記録し、指標のひとつとして振り返れないかなぁと感じるのは私だけでしょうか。