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命を託されている

このコラムを開始して約ひとつきが経ちました。
そろそろ、「なぜ、コラムの写真が柴犬なのか?」とか、はたまた「なぜ、白や黒じゃなくて、赤なのか?」などマニアックな問い合わせもあるのではないかと期待、いや考えていましたが、幸いにもありませんでしたので、この件で思うところを書きます。

 

件の柴犬、昨年3月6日生まれの純血の雌犬で、来月1歳を迎えます。人間でいうと17・8歳くらい。生後3か月目に親せき宅から我が家にやってきたので、約9か月の付き合いになりました。
私は、齢40歳過ぎから、これまでしたくてもできなかったことに取り組もうと、いろんなことにチャレンジ゛していて、犬を飼うこともその一つでした。この親犬が最後のお産ということもあって、ぜひ、あなたに育ててもらいたいとの思いを聞き、一大決心したのでした。

 

さてさて、いざ迎え入れると、可愛いだけの期間はほんのわずかで、飼い主の責任の重大さを痛感する毎日となりました。まず、朝夕の散歩と餌やりは必須なのですが、出勤の都合上、朝の散歩は5時、夕方の散歩が遅くなれば趣味のランニング時間が取れないし、家族全員で夜間家を空けることも困難になりました。

しかし、これは人間の都合の話であって、彼女にとっては、ただ生きるための自然なことなのでしかありません。ということは、あらためて飼われている以上彼女の命は、私(家族)次第ということに気づかされました。

 

では、なぜ人は、大変な思いをしてペットを飼うのでしょう。自身を振り返ってみると、何かの役に立ちたいと思うからではないでしょうか。大変だけど、世話をすることにやりがいや意義を感じ、自分の役割を意識する。そして、期待してはいないけど、見返りのようなものがあれば嬉しく思う。至極単純です。

 

最近、彼女は、餌よりも私からのナデナデを欲しがります。すごくいとおしく思いますが、今朝も散歩で立派なウ○チを2回程、平気な顔で始末させられました。お互いの思いのすれ違いを感じます。